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行先板、愛称板のページ(九州編)
写真が裏返るサボもあります。マウスポインターをあてて、お楽しみ下さい。
有明(特急)・・485系、583系。1988年7月乗車。
門司港、小倉、博多―西鹿児島、熊本を結んでいました。今は水前寺止まりになっています。私が大学生の時の指宿旅行で485系に乗車しました。博多から西鹿児島までリクライニングもしない座席での移動は疲れました。ただ救いは隣に座ったご婦人が鳥栖で下車され、それから隣には誰も来なかったので気持ちは楽でした。車内においてグリーン、普通車指定席利用の乗客には知覧のお茶が配られていました。飲んだらとても熱くて渋かったです。愛称板は583系のものです。
  
かもめ(特急)・・485系。1981年8月乗車。
博多、小倉―長崎を結んでいました。長崎旅行の帰りにグリーン車に乗車したのですが、自由席利用の客がこちらの車両の通路まで埋めたのでトイレにも行けず良い思い出はないです。
 
かいもん(急行)・・475系、20系、10系。1978年8月乗車。
博多、門司港―西鹿児島を結んでいました。父との鹿児島旅行の帰りに乗車。この当時特急は少なく、この列車の他急行が我が物顔で走っていました。乗車の前日に霧島神宮のホテルで捕まえたクワガタを車窓に置き、有明湾を見ながら北上しました。この頃には営業休止ながらビュフェ車が連結されていました。今も475系は塗装を変えて細々と運行についているのでしょうか・・。
  
ぎんなん(急行)・・475系。
博多―熊本を結んでいました。
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ゆのか(急行)・・475系。
博多―大分を結んでいました。
 
日南(急行)・・475系、20系、12系。
この愛称板の頃、昼行は博多―宮崎、夜行は博多―西鹿児島を結んでいました。
 
フェニックス(急行)・・58系。
西鹿児島―宮崎を新幹線博多開業まで博多経由で結んでいました。
 
錦江(急行)・・58系、475系。1978年8月乗車。
指宿、西鹿児島―宮崎を結んでいました。父との鹿児島旅行の際に西鹿児島から霧島神宮まで乗車しました。指宿から出てきている列車であったので座る事は出来ず30分ほど立っていました。写真の愛称板は475系の快速時のものです。
 
平戸(急行)・・58系。1981年8月乗車。
博多―長崎を筑肥、松浦、大村線経由で結んでいました。父と長崎の平戸島に行った時に長崎から平戸口、佐世保から長崎と乗車しました。
その当時存在した「長崎佐世保ミニ周遊券」を使用したので急行料金は不要でした。ただ長崎からは遠かったです(笑)面白い事に往復とも同じ車両の同じ座席に座りました。
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出島(急行)・・58系。
新幹線博多開業前は呉―長崎、開業後は博多―長崎を結んでいました。
  
弓張(急行)・・58系。
博多―佐世保を「出島」と併結されて結んでいました。
 
いなさ(急行)・・58系。
博多、小倉、大分―長崎を結んでいました。
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はんだ(急行)・・66系。
門司港―湯布院を筑豊、伊田、日田彦山線経由で結んでいました。
 
日田(急行)・・66系
直方―湯布院を日田彦山経由で結んでいました。
 
由布(急行)・・58系。
博多―別府を結んでいました。
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火の山(急行)・・58系。
熊本―別府を結んでいました。行先板の裏面は間に合い運用で使われていた鈍行列車用です。
 
えびの(急行)・・58系。
博多、熊本―宮崎を肥薩、吉都線経由で結んでいました。
 
くまがわ(急行)・・58系。
門司港―人吉、湯前を結んでいましたが徐々に短縮されて行きました。
  
特快・・413系。
今でこそ博多―小倉間は新幹線を利用の方が多いですが、かつてはこの様なサボを付けた快速が走っていました。
  
シーサイドライナー・・66系。2005年12月乗車。
松浦鉄道の佐々から浦上まで乗車しました。筑豊地区で異彩を放ったこの形式は大村地区でまだまだ健在です。
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快速・鈍行列車のサボです。
お断り・・行先版につきましては推定もあり、必ずしも愛称板の列車と一致しない事もあります事を予め御了承ください。
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